ゆとり主婦のタワゴト

日々思うこと、頭の中のこと、ひっそりと自己主張。

夜中のトイレ

夜中にトイレへ起きる。

 

10月になっても30度近い暑さを記録しているが、

少し開けていた窓からは、

明らかに夏とは違う匂いがした。

 

この匂いを嗅ぐと思い出すのは、

子供の頃、夏休みに通っていた教会で行われていた、少年自然の家への合宿や、林間学校の思い出。夏の山の匂いだ。

 

山は夏真っ盛りでも、

夜になると都会とは違う匂いがしていたのだろう。

と、30歳になり、夜トイレへ行った時に気がついた。

 

たかがランチですよ?

女性同士の友人、同僚とご飯やお茶をするとき、「つっかえる」場面が沢山ある。スムーズに話が進まず、ブレーキがかかる。

 

 

まず最初のつっかえがちポイント

「店を決める」

 

例えば、6人などの複数人のグループでランチをしようというとき、誰かがラインで2、3個店の候補をあげてくれる。

だが、そこからひとつに決定するまでがとても時間がかかる。

 

「どっちも美味しそう〜」

「イタリアンもいいし、でも和食も久しぶりだなぁ〜」

 

という決定打のないやり取りが延々と続く。

メンバー全員が「どっちの店もいい!」という内容の返信を、ひと通りし終えるまで、どちらかには決まらない。

私はそれが嫌なので、ある程度やり取りが長くなるまで返信を待ち、

 

「こうこうこういう理由で、今回はこっちはどうかな?」

と初めてどちらかを選択する発言をしてみる。

が、これすらも華麗に交わして迷い続けられるのが女というものなのだ。

やはり、最後の一人がどちらの店も褒めるまで決まらない。

 

 

…さぁなんやかんやで店は決定。

店内に入る。

 

店に入ってからのつっかえ例は、同僚とのランチの場合。

 

「コーヒーは食後にしますか?」

の質問にも、

 

え、どうしよう?と隣の人と目を合わせてキョロキョロ。

またまたせっかちな私が答えてしまう。

答えた後に、

 

「このお店は割と早く出て来るので、後にしちゃいました!」

とお断りすると、

「ありがと〜ほんと優柔不断でさ〜」とのこと。

 

で、最後のつっかえ。「お会計」

またもや、6人の大人数ランチでのエピソードだ。

 

大人数なので、席でお会計をまとめていくことに。

すると、どうしても端数が足りない時が出て来る。端数なので数十円〜数百円ほどのもの。

この場合、じゃあ今日は〇〇ちゃんに、となって渡されたら、渡された人はもらってしまえばいいと思う。

 

いつもその子がもらっていたら話は別だけど、大人6人のランチの数百円で、「いや、いいいいいい!ほんといい!」も何往復もやらなくても…。

 

大学生くらいの子たちのランチだったらね、可愛いと思うんです。

 

もう二十代後半の女子会やらなんやら、もう少しスマートにスムーズにならないのかな、と思う今日この頃。

 

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ラクマで困ってること

一年半くらい?ラクマ(元フリル)を利用しているのだが、一年ほど前から、絶対に購入しないのにいいねだけつけてくる人がいる。

 

アイコンは時々変わるけど、名前はずっと変わらない。

 

しかも私のことをフォローしているわけではないのに、出品するとすぐにいいねがつく。何でわかるんだろう。。

 

もう一年程経つので、問い合わせセンターに相談した。

けれど、そういうユーザーがいないか目を光らせておきますくらいだった。

気味が悪く、迷惑な存在だ…。

 

顔出しも、着画もないし、執着ポイントがわからない…。他にも私のような方はいらっしゃるのだろうか。

平成の結婚観?と男女平等?

少し旬を過ぎてしまった話題かもしれないが、先日作家の朝井リョウさんの結婚式に関する記事を読んだ。

 

https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/ryoasai-marry?utm_term=.lllxe86ar#.yq44vqyz2

 

“平成生まれの結婚観”というような見出しとセットの記事も多く見受けられた。

 

結婚式は苦手、という考えの方は多くいることだろう。しかし彼の場合その理由は、なかなか極端である。

 

結婚式あげるってなったら、多分アルバイトの――普段家でカップラーメン食べてるような――神父の前で愛を誓うとか、その文化じゃないのに賛美歌を歌うとか、ファーストバイトとか、あるじゃないですか。そういうのが私たちに必要か、しらみつぶしに考えていったんですよ

 

なるほど、作家らしいというか、繊細に物事を考え尽くす人なのだろう。

さらに続く。

 

ファーストバイトも「なんでこんなに嫌なんだろう?」って今まで思ってたんですけど、あれって「男の人が稼いできたお金で、女の人が料理を作って食べさせる」って意味が奥にあるんですよね。

僕らは共働きだし、私は料理を作ってほしくて彼女と結婚したわけではない。その行為をすることによって、その思想を自分たちが背負ってると思われるのも嫌だった。

 

私もファーストバイトをやったが、そんな理由に想いを馳せることもなく、巨大スプーンを夫の顔面に押し付けて、笑いを誘った。「あ、これ盛り上がるよね〜!やっちゃお♡」くらいのテンションで。

 

それは夫婦や親子でも同じだと思っていて。女性が男性の“ために”料理を毎日作っていたとしたら、やがて「あなたのためにこんなに家事してきた“のに”」という気持ちが出てきてしまうと思うんですよ。男性は「俺はお前のために働いて稼いでる“のに”」とかね。

 

前後の文脈はさて置き、引用として引っ張っているので、ここだけに触れるのは失礼な話かもしれないが、私は「ために」で救われることもある。

 

自分一人ではなく、相手がいるから我慢することも増えたけれど、相手の「ために」を強調することは、決して息苦しいことばかりではない。「ために」を言い訳や建前にするくらいのしたたかさを持ち合わせているからかもしれないが、救われることも多い。

 

それに、ここで「ために」を強調しなくても、一緒に暮らしていると「のに」が発生することは避けられないように思う。

 

私は、昨今多くの場で主張されるような男女平等観こそ女性を苦しめているように思う。

おそらく、女性自身、平等を求めている部分と無理だと理解してる部分はちゃんと区別されているのに、どうやっても無理な部分をひとまず置いておくどころか、放置したまま平等を掲げ続け、いざ主張通りに全てが叶ってしまったらどうするのだろう。

 

果たして男性は、女性が平等を叶えてしまった世界でも自己価値を見出して頑張れるほど強い生き物なのだろうか。

ある部分では女性以上の繊細さを持ち合わせている気もするのだが。

 

 

f:id:hossunn250:20180321172651j:plain

この朝井さんの意見には多くの若者から賛同の声が寄せられたようだ。

 

私も結婚式したくない、身内だけでいい、押し付けだ、など。

 

私自身の話にしてしまうと、そういった近年の風潮の中では、盛大に結婚式を挙げた方だと思う。親からの援助もあったが、親自身も喜んで援助しようとしてくれたので、ありがたく受け取った。

 

“縮小”“シンプル”の美徳はこういったところにも来ているのだなと感じた。

もちろん、呼ぶからには引出物や料理で節約していると思われないように、もてなしの部分は徹底的に考え尽くしたけれど。(私もあわよくばご祝儀で稼ごうとしている魂胆の結婚式は嫌いだけど。それをバレてないと思ってるところがまた)

 

結婚式や、結婚式にまつわる慣例の、男女の不平等さを彼の言うように突き詰めてしまったら、七五三、ひな祭り、こどもの日だってお祝いできなくなってしまわないだろうか。

それはそれ、お祭りごとの一種くらい軽い気持ちでもいいのではないか。

そこを突き詰めずとも、彼の言う「今の時代をともに生き抜くために手を組んでいく」ことは可能ではないのだろうか。

 

 

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ニンニクドレッシングで時短!2品!

珍しく、主婦ブログっぽい内容をご紹介いたします。

 

私は料理が苦手だし、好きじゃない。

それでも簡単にできてしまう、お料理2品を。

 

どちらにもつかうのがこれ。

f:id:hossunn250:20180309123955j:image

ニンニクドレッシングです!

 

まずはメインの韓国風焼肉?的なものに。

完成図はこちら↓

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①牛コマをボールに入れ、ニンニクドレッシング、酒、塩、胡椒を揉み込み下味をつける。

②更に切った玉ねぎ、パプリカを加えて混ぜる。もう一度ドレッシングをサッとかけておく。

③焼く!

 

で、完成!

ドレッシングじゃなくて焼肉のたれやゴマだれなんかでもいいと思います。

 

2品目はお写真ありませんが、

ドレッシングを使うのでふつうにサラダを作ります(笑)

 

①水菜を切って水を切る

②豆腐も水切り

③ちりめんじゃこをごま油でカリカリに焼く

④①ー③を混ぜ合わせてドレッシング!

 

ちなみに私は絹どうふで作りました♡

 

どちらも簡単にできますし、

サラダのさっぱり加減がお肉に合うのでオススメです!

 

 

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『ナイルパーチの女子会』から考えること

柚木麻子の著書『ナイルパーチの女子会』は女性なら誰もが、次!次は⁈と前のめりで読み進めてしまう内容ではないだろうか。

 

とても面白かったので、柚木さんのインタビューを検索したところ

「『本屋さんのダイアナ』の選考時は、高校時代の付き合いを引きずっているなんて話が幼すぎる」と言われたそうだ。自分は幼かったのかと気づいた、と。

 

私は学区外の小中学校に通い、大学は上京した。周りの友人にもそういう子が多かった。私含め、高校時代どころか、小学校時代の友人関係が現在にも影響している人は沢山いる。

 

思春期の女子は、仲間外れが毎日のように変わる。いじめた側といじめられた側の構図はとてつもないスピードで変化する。

それを水に流して「普通の関係」に戻ることが大人になることだろう。

だが「普通」を越して「仲良く」しているのを見ると、彼女達にプライドやこだわりは無いのかと感じてしまう。

 

いじめた側は、当時の自分のした事や心境を認めたのだろうか。

いじめられた側は、大人になって周りにも交友関係が広がり、そこに固執しなくても十分快適にしているのに、なぜいまだ自分をいじめてきた相手の機嫌を伺うのか。

 

私は地元が好きだし、友人や母校が誇りだ。地方都市だが、決して交友関係の狭いド田舎では無い。

 

なのになぜ、進学で地元を離れたり、就職したり、結婚したり、外の世界を沢山見てきたのに、彼女たちはいまだ昔の関係性に媚びるのか。

 

昔から続いてるものと今を大切にするだけで良いはずなのに、なぜ大昔に何度もほころんだものを、様子を見ながら再構築し続けるのか。10年越しに、互いにご機嫌伺いを続けるほど大切なものは、かってあったように思えない。

 

今の時代は、SNSなども相まって「過去」がずっと追いかけてくる。

子供の時の女子の友情が、社会人や主婦となった『アラサー「女子」』にまで追っかけてくる。

 

私は『本屋さんのダイアナ』も凄く好きだ。『ナイルパーチの女子会』以上に感銘を受けた。なぜなら私もとても幼いから。

 

「あなたたちにプライドはないの?まだそんなことに時間を費やしてるの?」なんて冷静に見ているようで、そういうものにヤキモキするということは、私自身過去に執着し、追いかけられ、とても幼いのだ。

 

地元大好き、同級生大好き人間であっても、地元を離れて結婚してよかったと思う。

地元の規模の中で、日常生活を送っていたら、今の時代どうやったってかつての友人たちの情報は耳に入ってくる。

こちらが能動的にならずとも、不特定多数の昔の関係が迫ってくる。避けることは困難だ。全く気にせず、二十代後半のいち女性として暮らしていけるほどの節度が自分にはない。こんなに離れていたって、瞬間、制服を着ていた頃の感覚に戻される。

 

女は友情に固執し、妄想し、しがみつき続ける。多ければ多いほうがいい、くらいに思っている。

一方で「女友達が少ない」という台詞も、「女友達が多い」と同じくらいの自意識を持つ。

 

今を生きる私たちは、母親世代の若かりし頃に比べると間違いなく幼いし、「女子」のまま大人になった。

だからこそ、柚木作品は共感され続けるのだろう。同時代を生きる女性特有の感覚だ。

 

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無言の圧力

世の中には、無言の圧力が溢れかえっている。

それは決して圧力という体をなさずに、ある時は思いやりや親しみの中に混じっている。

 

あえてそうなるように計算し、絶妙なさじ加減で圧力を練り込む技を持つ人もいるけれど、

100%思いやりと親しみだけを込めてくれていても、やはり圧力は存在する。

 

無言の圧力、一般常識、と呼ばれるもの。

〜したなら〜して当然という論理。

良いとか悪いとか、プラスだとかマイナスだとか、そういう事ですらない。

 

この電車に乗り込んだのなら、次に乗る電車は決められている。乗換案内で計算した通りの路線と時刻とホームで、タイミングよく乗り継ぎをしなかったのなら、無言の圧力とは、日常の様々なところで出会うことになる。

 

気の合う親友だった子との長電話でのほんの一言、職場の同僚との雑談、出がけにバタバタしている時のふとした夫とのやりとり、たまたま目にしたCM、本屋にならんだ書籍の見出し…。

 

乗換がスムーズに済んだ人にとってはなんの意味もなさない言葉の並びが、キオスクでパンを買ったり、トイレに寄ったり、初めての駅で降りる階段を間違えた人々には、魚の小骨のような違和感を感じさせる。最初は小さすぎて気にも止まらない。そのうち勝手に取れるだろう、と。

 

しかし、時間が経っても取れない。

ならばとご飯を飲み込んでも取れない。手段を尽くしても取れない。

最後は病院へ出向いて抜いてもらうしかなくなる。

そういうものがこの世界には溢れている。

それに気づいて、気持ちよく爽やかに人と交流出来る人は少ない。気づかないことが悪いわけでもない。でも想像することは大事なのだ。

 

誰かと関わっていく上で最も大切なのは想像力だ。考えること。無言であっても誰かにとっては圧力になり得るものが、日常には溢れていること。

 

自分を他者に見せるのが、誰でも簡単に出来る世の中になり、それに乗るのであれば、想像して考えなくてはいけない。発する側に立った時は(井戸端会議で喋る順番が回ってくる程小さなことであっても)誰もが想像して考える義務がある。

 

 

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