やたらSNS得意なおじさん達
っていませんか?
●中学時代の先生
●以前の会社の部長
●旦那の父
私の周りのSNS得意おじさん衆である。
中学の先生と旦那の父は、Facebookで外食写真をたくさん載せる。ラーメン日記をつけていたり、マメだなぁと思う。
中学の先生は他にも学校行事のことや、家族のことをかなり細かく綴っているし、恐らく全ての繋がっている生徒に誕生日メッセージを毎年欠かさず送っている(!)通知が来るように設定しているのだろう。
以前勤めていた職場の部長もFacebookがマメで、やはり誕生日メッセージをくれる(笑)
Facebookのブームは少し前から去ってしまったように思う。タイムラインはおじさん衆とちょっと変わった同級生たちだけになり、見なくなってしまった。(ごめんなさい)
しかし、そこはSNSお得意おじさん。いよいよインスタにも参入してきた!
特にすごいのが部長だ。
定年退職後、世界各国を飛び回っているようで、もう写真のインスタ映えがハンパじゃない。タグもめちゃくちゃつけていて、こんなタグあるんだ…とこちらが勉強になる。
ダイレクトメッセージまでくれる。インスタのDMなんて、本当にたまにしか使わないのに、それを使ってかつての部下にメッセージを送ろう!と考える思考が、本当に若々しくてたまげる。
おじさん達のSNSは興味ないな…というのが若者の本音だろう。(勝手に)
でも、その精神と習慣化と、新しいものへの興味には感服だ。時間と金銭の余裕を手にした大人の体験をシェアしてくれる楽しさもある。
インスタでケチをつけたい人を探すばかりではなく、人生の諸先輩方から学んでみようと思った。
結婚式の織姫さま達
結婚式の参列者、織姫さまたくさんいませんか?
参考右↓
私が言いたいのはこのストールのこと↓
これ、無い方が可愛くないだろうか?
いや、私も羽織は持つし、冷房が効きすぎていたら使うのだが、あくまで防寒として。この写真くらい薄いやつはおそらくお洒落目的。で、これはちゃんと商品として取ってるからまだ綺麗な方。本当に安っぽ〜いペラペラな生地のストールをだら〜んとかけたりしてると、一気にドレスの可愛さが消える。織姫さま面積が広すぎることによって。
小技を効かせて後ろで結んでボレロ風にして、でもその結び目ががっつり下に飛び出してたりする人もいる。ボレロが欲しいならボレロを買えばいい。
(こんな感じ。実際はもっとダラーンとしてる。)
この織姫さまストールは使いこなしがめちゃめちゃ難しいと思うのだ。よく女子は、二の腕出したくないし〜とかほざくのだが、なら半袖や長袖の可愛いドレスを着た方がハズレがない。
ちなみに二の腕が嫌でボレロへ走る人。
ボレロもなかなか難易度は高めで、二の腕が心配なほどの体型の人はボレロによって更に太って見える。腕も太く見える。やはりここは潔く半袖長袖だ。
この失敗織姫さまが数人あつまって写真を撮ると一気に芋っぽくなる!
と、あくまで個人の見解です。
が、心底本音です。
今朝のできごと
ずっと形を変えても繋がっている人、というのはいると思う。
連絡を取っていなくても、
何年も会っていなくても、
今の関係が昔の関係と変わっていても、
私のことはもう親しいと思っていないかもとか、忘れてるかもとか、そんな心配ごとすら芽生えない人。相手も私が思うのと同じような温度で、私のことを時折考えてくれて、思ってくれていると、それが当然で当たり前だと確信できる人。
今朝のできごと。夢に出てきた人がいる。この人はちょくちょく私の夢に顔を出す。夢については色々な考えがあるから、非科学的かもしれないけれど、私は昔の人の言うことには意味があると思っている。だから和歌のように「相手も私を思っているから夢に出てきてくれた」
と考える。当たり前にそのことを信じれる人だから、頻繁に出てきてくれるのね、と。
そして寝ぼけ眼で何気に携帯を手にしたらSNSを通じて、相手からコンタクトが来ていた。会話を交わすレベルではないけれど、接触があった。私はぼーっとしながらも「今これにレスポンスすれば、相手からすぐに応答がある。まだ早いけど、相手は必ず起きている」と確信してレスポンスをした。そして、その通りになる。嬉しいけれど、驚きはしなかった。
ちなみに私には霊感とかオーラ的な類のものはいっっさいない。家族友人にもいない。だから、そういうものではないと思う。もっと記憶とかご縁とかそういう、現実の話だけれど、人が避けて通れないもの。
とりとめのない文章になってしまったけれど、相手に確かめる話ではないし、世界中で私だけが感じ、信じていること。一人よりがりな妄想入ってんじゃん?と思われても仕方ないほど、個人的な思い。でも、私しか知らないからこそ、本当のことであり、大事なことだ。
女子分析④〜楽して生きる幸せ〜
おそらく女性の嫉妬の中には、
「私はこんなに頑張っているのに、〇〇は楽して手に入れていて腹がたつ」
という類のものがあると思う。
女子分析シリーズ①〜③では、私が中学生くらいの時に経験した話をした。
その経験をつい最近友人に話したところ、私に対して周りは先ほど書いたような嫉妬を覚えるんだよ、と言われた。
その時はうーん、嫉妬はわかるけど私が特別「楽してる」わけでもないと思うんだけど…なんで楽してるって思われるんだろう、と感じた。
…でもふと思ったのだ。
私楽してたかも!、と。
勉強や仕事を頑張っていなかったわけではないし、そういう面で楽をした覚えはない。努力すべき場面では努力してきたと思う。
けれど、物質的な豊かさに対して必死になったことはないし、生まれた時から十分恵まれていたから、そもそも「私は今楽をしている」と感じることがなかった。楽をしているかどうかに焦点を当てたことはない、つまりそれは楽をしているのかも、と。
なんとなく、
人生はうまくいく、絶対に。
と昔から思い込んでいる節がある。
何かをしてもらったり、ラッキーが起きたら、わーい、ありがとう!と素直に受け取ってきた。友人からは「ちゃっかりしてる」とよく言われた。逆に自分を必要以上に卑下したことも、無駄な遠慮をしたこともない。
私は「〇〇ちゃんは普段から誠実な人なんだし、ここで筋の通った我を通しても誰も変だとは思わないのに」と感じることがよくある。自分の行動や言動に対して必要以上に前置する子もそうだ。大丈夫、誤解しないよ、周りにはそんなに深読みしないよ、と。
女子のグループというのはどこか、遠慮しなければ。謙虚でいなければ。これこそがうまくやっていくためのルール!という思い込みで成り立っているところがある。明日のランチの店さえもグループラインでなかなか決まらない…なんてのは女子あるあるではなかろうか。
そういった遠慮を苦労、とまでは捉えなくても、私のようなちゃっかり者は「楽をしている」カテゴリになってしまうのかもしれない。
けれど、楽をした結果人生はうまくいっていると思うのだ。
結婚する時もそうだ。私は当時勤めていた会社が超ブラック。まずは3年、が当てはまらない会社だと確信し、早く抜け出さなければ自分のことが嫌いになる、と強く思った。大学時代から付き合っていた夫は元々結婚願望があったが、結婚のきっかけを端的に説明すれば「仕事を辞めたいから結婚しよう」と相談したのだ。結果、周りの友人の中でも真っ先に主婦となった。
周りからみたら、甘いヤツだと思われるかもしれないけれど、事実として私は今幸せな生活を手に入れている。遠慮や我慢をあの時続けていたら、交際期間の長かった夫とは結婚の時期を逃していたかもしれない。
暗黙の女子ルールにしばられず、楽に、ちゃっかり、少しわがままになることは、幸せを感じる最も簡単な手段だと思う。
小室哲哉
週刊誌の賛否やそれと彼との引退を関連づけることは違うと思う。
元々音楽面以外では、スキャンダラスなニュースの多い人だったし、彼自身も年齢的にうまい幕引きが出来たはずだ。
だから彼の人間性や一連の騒動は抜きにして、彼の音楽のファンだと言う話を書きたい。
雪が降ると、globeやTRFを聴きたくなるのは冬のあるあるではないだろうか。
子供の頃行っていたスキー場では必ずかかっていた。
私は90年代から00年初期の音楽が一番好きだ。色褪せない名曲が続々と世に放たれた時代。そしてTK全盛期。音楽を意識して聞くようになった小学校低学年の頃が最も彼の音楽が流行っていたから、原体験に近いものがある。
globeで特に好きな曲は「precious memories」冒頭のピアノの旋律を含め、小室哲哉の真骨頂だと思う。特にその歌詞は、小室音楽の全ての根底に流れている想いが綴られている。大人になって、日々に追われる中でもふとした時に思い出し、切なくも温かな気持ちにさせてくれるprecious memories は誰にもあるはず。ユーミンの「卒業写真」にも似た曲だ。いつ聞いても胸がキュッと締め付けられる、だけど頭の中だけタイムスリップさせてくれるような、不思議で温かい一曲だ。
TRFでは、言わずと知れた名曲「BOY MEETS GIRL」について。
当時小学生だった私はNHKの確か、BSで放送されていた「だぁ!だぁ!だぁ!」の主題歌として耳にしていた。ダンサブルで、一度耳にしたら忘れられない曲調が、アニメのオープニングを引き立て、子供心をくすぐった。その物語もボーイミーツガールもの。それから歳を重ね、「君の名は」に至るまで、ボーイミーツガールものの絶対的な楽しさ、おもしろさ、豊かさを 色々な作品で目にしてきた。大人になって聞くこの曲は、たまらない。
ボーイミーツガール
出会いこそ
人生の宝探しだね
小室音楽の全ては、大人になった人々の胸をキュッと締め付け、心地よい切なさを連れてくる。懐古主義になるのではなく、誰もが持っているはずの素敵な思い出があることを私たちに教えてくれる。そして、日常へと戻っていくためのエネルギーをわけてくれる。
この想いは時代に左右されるものではなく、大人になる全ての人がどこかで触れるもの。彼の音楽はこの先も長く、私たちの日常に寄り添ってくれると思う。
「相棒」シリーズ
昔から大好きで、今も再放送はよくチェックしている。刑事のバディモノはたくさんあるが、とてもコミカルで相棒ならではのユーモアがあるこのシリーズは長期シリーズとして親しまれるのも頷ける。
相棒はこれまでに4人。実は反町が相棒になってからは見ていない。GTOに始まり、反町自体は好きなのだがなんとなく惹かれず。
これまでの4人を2つに分けると、
↕︎
になる気がする。あくまで相棒反町は見ていないのでイメージだが、特に役者本人が寺脇康文と被る。
寺脇演じる熱血漢亀山が右京さんと対になるキャラで、ベストバランスなのは言うまでもないが、その次の相棒、ミッチー扮する神部君もなんとも意表を突かれた。どちらかといえば右京さんに近いキャラかと思いきや…。特に亀山とは真逆のタイプなので、新相棒として風を吹かせた。
続いての相棒はまたもや熱血?だけど若くて亀山とも違う、カイト君。成宮君は私たち世代の青春ドラマには欠かせない存在。親子に見えなくもない右京さんとのバランスに最初はドギマギしたが、すぐに馴染んだ気がする。
で、次はまたしても違うタイプかなぁ〜と思いきや、役者のイメージ的にも寺脇、成宮と並ぶ反町だったので、なんとなーく見ずに来てしまった。見たらやっぱ面白いのかもだけど。。
晴れの日
の話ではなく…
「〇〇の社長も娘には4万円の振袖を買って終わったら売って小遣いにしろといっていたんだ。振袖にお金をかかるなんて」
みたいな内容のツイート。他にも類似した内容の意見をちらほら目にした。
私はこの、GU、ニトリを筆頭とするなんでも使い回し使い捨ての感覚があまり好みではない。その考えを否定するわけではないのだが、成人式の振袖にまで及ぶのか…と少々驚いたのだ。お正月と並ぶ1月の大行事。成人というひとつの節目に、両親の方が張り切って用意している家庭も多いだろう。が、「それより高価なものが欲しければ、自分でバイトして買え」という意見もあった。娘が親に無理強いして買わせるのは良くないし、高ければいいというものではないけれど、でもなんだか情のない意見に思えてしまう。
私は私物の着物で成人式に出たが、十三詣り、成人式、大学の卒業式と三度着る機会があった。十三詣りの着物を選ぶ際、三越の呉服売り場の人がうちへ来て二つまで絞った。あとはあなたが好きなのを選んでと言われたが、選んだ方が高かったらしい。親は冗談まじりで「大学の袴の時まで着なさいよ!」と言っていたが本当にその通りになった。
良いものというのは、つまりこういうことが出来るところにあるのではないだろうか。柄も仕立ても良ければ、成長したからと言って、ダサ〜い、飽きた〜はあまり起きないように思うが、そのリスクを回避して、年齢ごとに好みの物を選ぶのも賢いだろう。しかし、同じ物をそれぞれの節目に着て写真を撮るというのもなかなかの趣があるではないか。なにより家族も交えて楽しめる。
ちなみに、成人式で女子が首回りに巻くモコモコ。あれもレンタルではなく購入した。確かフォックス?(うろ覚え)母が、レンタルの薄っぺらいフェザーは、せっかく着物が良くても台無しだからといって買ってくれた。その時はふーん、と思って聞いていたが、いざ式に出てみると母の言っていた意味がよく分かったし、何より写真になると明らか。薄いフェザーはぺらっとしているのでみんな裏地が出てしまって、むしろ寒そうにみえるのだ。
結婚した時には、嫁入り道具としてオーダーで桐箪笥を作ってくれた。それこそ着物などを保管するため。まだ着用の機会はないが家紋入りの留袖も作ってもらい、その箪笥にしまっている。
我が家は祖父母と暮らしていたせいもあってか、節目の行事の持ち物や着る物には割と口うるさい家庭であった。お雛様も今ではほとんど売っていない七段飾りの豪華なものだ。
子供の頃は、もーまたぁ?うるさいなぁ…と煩わしく聞いていたが、今の年齢になって感謝している。こだわるには意味があるし、良いものには時が経っても価値が残る。使い捨て前提のものは、それ相応なのだ。普段着などにはその考えを取り入れても良いと思うけれど、伝統的な一生に一度の晴れ舞台でも「どうせ今回だけなんだから、お金をかける方があほらしい」というのが先行してしまうのはなんだか侘しくないだろうか。
現在注文で家作りをしており、今と昔、首都圏と田舎の暮らしの中で、全てを自分が育って来たようにはできない現実に直面している。先ほど述べたような七段のお雛様などは旦那の母から「女の子が生まれてからでも良いんじゃない」とやんわり牽制された。(それでも飾れる間取りにしてしまったが笑)
だからといって、じゃあそれらも断捨離してしまうのかとなると、それは絶対に嫌だ。お雛様も単に立派だからとっておきたいわけではない。未だに両親が飾ってくれるほど、家族みんなが大切にしてきたものだし、お顔もとっても可愛いのだ。良いものを買う意味というのは確かにあると思う。