ゆとり主婦のタワゴト

日々思うこと、頭の中のこと、ひっそりと自己主張。

同級生

アプリ「スマートニュース」の文春チャンネルで、横澤夏子の「私が同窓会の帰りに泣く理由」を読んだ。たまたま、トップにあったから。彼女は私の一歳下。SNSで繰り広げられるリア充自慢にアンテナを尖らせ、他人を通して自身を省みてしまう同世代の、そして女性特有の感覚に共感できたし、読みやすい文章だった。

彼女ほど売れっ子の人気者になっても地元の枠の中では、羨ましいとされる枠が異なり、だから周りに負けないようにがんばる、同窓会のためにがんばる。でもいつも負けてるような気持ちになって、同窓会の帰り道泣いてしまうのだそうだ。彼女の持つ繊細な性格でもあり、一人違う道を歩んだからこその自意識からくる感情なのかもしれない。さすがに私は泣いたことはないが、彼女の抱く感情はおそらく多くの人も抱く感情だ。私は同級生の中では早くに結婚したが、子供はまだいない。私より後から結婚した子達は皆すぐに子供を産んで、まだ産まないの?と聞かれる。そろそろ結婚したいと言いながらも、独身で仕事を続け、休日も予定で埋まり、なかなか会えない友達のことも羨ましい。体があまり丈夫ではないので、週に3日働いて主婦業との両立を図っている今の暮らしに不満はないし、むしろ自慢である。仕事はどちらでもいいよと言ってくれるだけの経済力と優しさのある夫を見つけ、気分転換になる仕事もある。その職場も綺麗な高層ビルだし、周りの人も優しい。最近の休日は土地や展示場を巡り、マイホームへの一歩を踏み出した。うん、ほらこうやって整理してみれば大丈夫、今の私。結局私は、すでに子供がいても、独身であっても、自分とは違うことをしている同級生のことを羨ましく思い、比べて、でもまあ私もそこそこイケてる、負けてない、と確認作業をしてしまうと思う。

なぜ、同級生なのだろう。 会社の同期や同僚のことも気にならないと言えば嘘になるが、同級生ほどは気にならない。更に同級生の中でも大学の子たちよりも地元の友人たちの方がなんとなく気になり、ヤキモキしてしまう気がする。私が上京組だから?でも県外に出た子なんてたくさんいる。幼い頃から時間を共にし、会社の同僚たちよりもよほど密な関係を築けているはずの同級生の動向なんて、幸せでキラキラしていた方が嬉しいに決まっているのに。

あるとき、フェイスブックをやり続ける限り、3年後も【ご報告】を受け続けなければならないのかと思ったら急に嫌になって、それからというもの実際の交友関係が反映されるSNSはほとんど見なくなってしまった。親の世代は、たまに開かれる同窓会や年に一回の年賀状で知るだけで済んだだろう。それに対しては私だって素直におめでとう、と感じるはずだ。ほんのちょっと前までは、バーベキュー、飲み会、旅行といったただ、普通に楽しい写真だけで埋め尽くされていたタイムラインが、ここ一、二年、いくらスクロールしても人生の転機となるような写真で溢れるようになってきた。その個人個人に対してはおめでとう、よかったねという想いがあるはずなのに、一週間に、一日に、何人もの人生の大イベントが詰め込まれているのを見ていたら、なんだか疲れた。子供大好きなはずなのに、当たり前に可愛いのに、こんなに素敵なウエディングドレスを着ているのに、ずっと頑張っていた夢を叶えて拍手を送りたいのに、なんだか何も感じなくなってきた。あーはいはい、またかよと思っている自分が悲しかった。

なんの損得もなく、ただ純粋に友達と呼べる、誰よりも幸せを願うべき存在の同級生たちの持つ手札と自分の手札を敏感に比べるようになった、ここ数年はなんなのだろう。SNS時代のせい?それとも二十代後半の女性は昔からそうなのか。あといくつ自分のカードを増やせば、満足できて安心できるのだろう。