学歴コンプレックス
という言葉がある。
芸能人もそれを理由に、テレビの企画で受験したりする。(学生や浪人生が本気でやってるんだから、無意味な母数の増やし方は賛成できないけど)
でも「みんなが勉強している時期に、サボった過去への後悔」をなんとなくライトな言葉に変換しているように感じる。
今の時代、どんなに勉強が苦手でも、受験すれば大学へ入ることができる。(金銭面とかは別にして)
言われる前に卑下しておこう、みたいな。今時学歴がないことで損をする場面は多くはないと思うし、大卒でもポンコツは沢山いる。
私は志望校は落ちてしまったので、その時はやはり悔しかったけれど、滑り止めの学校へ行ったからこそ、今の友人たちがいるし、土地勘があるし、結果オーライだ。
綺麗事ではなく、勉強してきたことは無駄にはならないし、卒業後年上の人たちとの会話で重視されるのは、話題の豊富さや切返しのうまさ、教養面であって、学歴そのものを本当にコンプレックスに感じる場面はそんなに多くないと思う。
あくまで、私がみてきた世界の話だけど。
違和感を感じるのは、こういう「なんとなくの言葉」を、切札のように使うこと。
言っておけばなんとかなる感じの、結局どういうこと?という言葉は溢れている。
その言葉を使って、この人は私にどういう返しを期待しているのか。意図は何なのか。
「大人になってついた仕事で、学歴がないことでチャレンジすらできなかったことがあって、それが悔しくて、やはり勉強しておけばよかったな」と言われれば理解できるけれど、
「俺学歴コンプなんで、この程度の給料なんすよ〜」とかは色んなものが省かれていて、何も返事ができない。相手を想定していない言葉だなあと感じる。
そもそも、そういう人は学歴よりもコンプレックスを感じているところが他にあるのだろう。