ゆとり主婦のタワゴト

日々思うこと、頭の中のこと、ひっそりと自己主張。

平成の結婚観?と男女平等?

少し旬を過ぎてしまった話題かもしれないが、先日作家の朝井リョウさんの結婚式に関する記事を読んだ。

 

朝井リョウ、結婚発表 「結婚式嫌い」を公言する平成生まれの結婚観

 

“平成生まれの結婚観”のような見出しも多く見受けられた。

結婚式は苦手、という考えの方は多くいることだろう。しかし彼の場合その理由は、なかなか極端でもある。

 

結婚式あげるってなったら、多分アルバイトの――普段家でカップラーメン食べてるような――神父の前で愛を誓うとか、その文化じゃないのに賛美歌を歌うとか、ファーストバイトとか、あるじゃないですか。そういうのが私たちに必要か、しらみつぶしに考えていったんですよ

 

なるほど、作家らしいというか、繊細に物事を考え尽くす人なのだろう。

さらに続く。

 

ファーストバイトも「なんでこんなに嫌なんだろう?」って今まで思ってたんですけど、あれって「男の人が稼いできたお金で、女の人が料理を作って食べさせる」って意味が奥にあるんですよね。

僕らは共働きだし、私は料理を作ってほしくて彼女と結婚したわけではない。その行為をすることによって、その思想を自分たちが背負ってると思われるのも嫌だった。

 

私もファーストバイトをやったが、そんな理由に想いを馳せることもなく、巨大スプーンを夫の顔面に押し付けてパフォーマンス的に行った。「あ、これ盛り上がるよね〜!やっちゃお♡」くらいのテンションで。

 

それは夫婦や親子でも同じだと思っていて。女性が男性の“ために”料理を毎日作っていたとしたら、やがて「あなたのためにこんなに家事してきた“のに”」という気持ちが出てきてしまうと思うんですよ。男性は「俺はお前のために働いて稼いでる“のに”」とかね。

 

前後の文脈の中から、引用として引っ張っているので、ここだけに触れるのは失礼な話かもしれないが、私は「ために」で救われていることもある。

自分一人より、相手がいるから我慢することも増えたけれど、相手の「ために」を強調することは、決して息苦しいことばかりではない。むしろ「ために」を言い訳や建前にするくらいのしたたかさを持ち合わせてしまっているので、救われることも多い。

それに、ここで「ために」を強調しなくても、一緒に暮らしていると「のに」が発生することは避けられないように思う。

 

私は、昨今多くの場で主張されるような男女平等観こそ女性を苦しめているように思ってしまう。おそらく、女性自身、平等を求めている部分と無理だと理解してる部分はちゃんと区別されているのに、どうやっても無理な部分をひとまず置いておくどころか放置したまま平等を掲げ続け、いざ主張通りに叶ってしまったらどうするのかと思う。

それに、果たして男性は女性が平等を叶えてしまった世界でも自己価値を見出して頑張れるほど強い生き物なのだろうか。ある部分では女性以上の繊細さを持ち合わせている気もするのだが。

 

 

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話が逸れたが、この朝井さんの意見には多くの若者から賛同の声が寄せられたようだ。

私も結婚式したくない、身内だけでいい、押し付けだ、など。

 

私自身の話にしてしまうと、最近のなかでは盛大に結婚式を挙げた方だと思う。親からの援助もあったが、親自身も喜んで援助しようとしてくれるなら、ありがたく受け取る。

“縮小”“シンプル”の美徳はこういったところにも来ているのだなと感じた。もちろん、呼ぶからには引出物や料理で節約していると思われないように、もてなしの部分は徹底的に考え尽くしたけれど。(私もあわよくばご祝儀で稼ごうとしている魂胆が透けている結婚式は嫌いだけど。それをバレてないと思ってるところがまた)

 

結婚式や、結婚式にまつわる慣例の、男女の不平等さを彼の言うように突き詰めてしまったら、七五三、ひな祭り、こどもの日だってお祝いできなくなってしまう気がする。それはそれ、お祭りごとの一種くらい軽い気持ちでもいいのではないかと感じた。

そこを突き詰めずとも、彼の言う「今の時代をともに生き抜くために手を組んでいく」ことは可能ではないのだろうか。

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