ゆとり主婦のタワゴト

日々思うこと、頭の中のこと、ひっそりと自己主張。

晴れの日

の話ではなく…

ツイッターをみていたらリツイートで回ってきた

「〇〇の社長も娘には4万円の振袖を買って終わったら売って小遣いにしろといっていたんだ。振袖にお金をかかるなんて」

みたいな内容のツイート。他にも類似した内容の意見をちらほら目にした。

 

私はこの、GU、ニトリを筆頭とするなんでも使い回し使い捨ての感覚があまり好みではない。その考えを否定するわけではないのだが、成人式の振袖にまで及ぶのか…と少々驚いたのだ。お正月と並ぶ1月の大行事。成人というひとつの節目に、両親の方が張り切って用意している家庭も多いだろう。が、「それより高価なものが欲しければ、自分でバイトして買え」という意見もあった。娘が親に無理強いして買わせるのは良くないし、高ければいいというものではないけれど、でもなんだか情のない意見に思えてしまう。

 

私は私物の着物で成人式に出たが、十三詣り、成人式、大学の卒業式と三度着る機会があった。十三詣りの着物を選ぶ際、三越の呉服売り場の人がうちへ来て二つまで絞った。あとはあなたが好きなのを選んでと言われたが、選んだ方が高かったらしい。親は冗談まじりで「大学の袴の時まで着なさいよ!」と言っていたが本当にその通りになった。

良いものというのは、つまりこういうことが出来るところにあるのではないだろうか。柄も仕立ても良ければ、成長したからと言って、ダサ〜い、飽きた〜はあまり起きないように思うが、そのリスクを回避して、年齢ごとに好みの物を選ぶのも賢いだろう。しかし、同じ物をそれぞれの節目に着て写真を撮るというのもなかなかの趣があるではないか。なにより家族も交えて楽しめる。

 

ちなみに、成人式で女子が首回りに巻くモコモコ。あれもレンタルではなく購入した。確かフォックス?(うろ覚え)母が、レンタルの薄っぺらいフェザーは、せっかく着物が良くても台無しだからといって買ってくれた。その時はふーん、と思って聞いていたが、いざ式に出てみると母の言っていた意味がよく分かったし、何より写真になると明らか。薄いフェザーはぺらっとしているのでみんな裏地が出てしまって、むしろ寒そうにみえるのだ。

 

結婚した時には、嫁入り道具としてオーダーで桐箪笥を作ってくれた。それこそ着物などを保管するため。まだ着用の機会はないが家紋入りの留袖も作ってもらい、その箪笥にしまっている。

 

我が家は祖父母と暮らしていたせいもあってか、節目の行事の持ち物や着る物には割と口うるさい家庭であった。お雛様も今ではほとんど売っていない七段飾りの豪華なものだ。

子供の頃は、もーまたぁ?うるさいなぁ…と煩わしく聞いていたが、今の年齢になって感謝している。こだわるには意味があるし、良いものには時が経っても価値が残る。使い捨て前提のものは、それ相応なのだ。普段着などにはその考えを取り入れても良いと思うけれど、伝統的な一生に一度の晴れ舞台でも「どうせ今回だけなんだから、お金をかける方があほらしい」というのが先行してしまうのはなんだか侘しくないだろうか。

 

現在注文で家作りをしており、今と昔、首都圏と田舎の暮らしの中で、全てを自分が育って来たようにはできない現実に直面している。先ほど述べたような七段のお雛様などは旦那の母から「女の子が生まれてからでも良いんじゃない」とやんわり牽制された。(それでも飾れる間取りにしてしまったが笑)

だからといって、じゃあそれらも断捨離してしまうのかとなると、それは絶対に嫌だ。お雛様も単に立派だからとっておきたいわけではない。未だに両親が飾ってくれるほど、家族みんなが大切にしてきたものだし、お顔もとっても可愛いのだ。良いものを買う意味というのは確かにあると思う。

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