ゆとり主婦のタワゴト

日々思うこと、頭の中のこと、ひっそりと自己主張。

[恰好悪い大人]青春しておくって大事

こんにちは。案の定飽き症を発揮し、大して続けてもいないブログですでにお久しぶりの状況です。

 

一昨日、小学校時代からの友人と牛カツの店でランチをしてきました。(あんまり美味しくなかった…)思い出話に花を咲かせたばかりですので、今日は小学校の頃から続く、自身の友人関係について書いてみようと思います。

 

 

温室育ちのゆとり世代

 

私は小学校から付属校に通っていました。一応地元では良い学校とされているところで、母や親戚、弟も通いました。

 

基本的にお母さんは専業主婦の家庭が多く、医者や弁護士のお家もたくさんありました。(現に、医者や弁護士になった友人も多いです)まあわざわざ子供を地下鉄やバスで通学させるわけですから、教育ママまではいかなくとも、子育てに熱心な家庭の子たちの学校といったところでしょうか。

 

ほとんどの友人と9年ほど一緒に過ごすことになります。

私は今年27になりますが、当時の小学校としてはめずらしく総合学習や秋休みがあったり、参考に市内の先生方が授業を見に来ていました。運動会もわりと盛大に行われ、市内の大きな講堂で合唱を発表する会もありました。

何より先生方が「君たちは○○生としての自覚を持って~~~」みたいなお説教の仕方をするので、子供ながらに多少の自意識?のようなものはずっと持っていたと思います。

 

そんなヌクヌクしたビニールハウスで育てられたので、ものすごーくエグいいじめや非行はありませんでした。中学に入ってもトイレにガムの包み紙が落ちていたら学年集会にてお説教、みたいな…。かつ、そこそこ賢い子供たちだったんだと思います。羽目をはずすにしてもぎりぎりのラインを探るというか、ローリスクローリターンをうまく狙うというか…。あまりかわいい子供たちではなかったかもしれません。

 

 

 なぜ学生時代があるのか

 

私がこの学校に入ってよかったなと思うところは、今でも付き合うことのできる友人がたくさんできたこと。大学で上京してからも、地元の友人と遊んでいることのほうが断然多いです(笑)

 

10伝えたいときに4くらいまで話すと、だいたいみんな残りの6も正しく読みとってくれますし、価値観も似たり寄ったり。なので楽!!男の子たちも割と女の子のような感覚の子たちが多いのか、お茶しておしゃべりみたいな遊びだってできちゃいます。

 

お互い、身の回りで起きたことへの不平不満やギャップをもらしながら「うちらやっぱり温室育ちだったんだね…」と再認識しています。けど、私たちは温室育ちでよかったんだ、たくましく生きてきた人たちも素晴らしいと思うけど私たちはこっちでよかったよね、うんうん…といった自己肯定をしてお別れしています(笑)

 

母の代から先生方に「○○生の子たちは卒業しても○○生の子としか仲良くできない」と言われていたらしいのですが、大人になってその言葉をかみしめています。あの頃作られた自意識、集団意識はジジババになっても消えないんだろうな。

 

井の中の蛙だという自覚はあるのですが、世界が自分たちを中心に回っていると思っていた、怖いものなんてなくて根拠のない自信に溢れていたあの頃。その思い出と仲間さえいれば、大人になって多少つらい出来事に見舞われたり、つまらない毎日に切なくなったときもなんとか乗り越えられるんです、本当に。

 

周りから見たら、私たちのおしゃべりなんて過去の栄光にすがった狭い世界での慰め合いかもしれないけれど、あの頃はこういった形で永遠になるんだと感じています。

だから、できるだけ若い子たちには小学校~高校くらいまでの学生時代は存分に謳歌してほしいですし、月並みですが友達を大切にしてもらいたいです。いつか社会の荒波にもまれたとき助けてくれるのは思い出と仲間だと。

 

 

痛くてダサいおっさん、おばさん

 

とくに就職して、いろんな大人を目の当たりにすると

 「青春時代に青春しておく」

 ことは本当に大切だと痛感します。

 

今の職場は、おじさん・おばさん達が遅れてやってきた青春にノリノリで、仕事場というよりサークルの延長みたいな働き方をしています。

 毎日全員で欠かさずランチに行っているし、いかに楽をして手を抜くかに賭けているので、30歳の若造が副部長にタメ語で仕事を押し付け、副部長も嫌われたくないからヘラヘラ請け負う。そのくせ、副部長の送別会ではクラスTシャツみたいな集合写真のついたモノを渡しちゃう。

 

送別会でみんな、

「ジムに行くような感覚で仕事に行ける」

「副部長は友達みたいでした」

と言って泣いていたんですけど、それじゃあだめじゃん。

 

ここにいる人はみんな、不遇の学生時代を過ごし、きっと今が一番自分を出せているんだろうなあという想像をふくらませてくれる痛々しい大人ばかり。27歳の小娘から見て「恰好悪い」「痛い」「ダサい」 が、三拍子揃った大人なんです。

 

仲良く働くのとなれ合いで働くのは違う。良い年したおっちゃんおばちゃんが、中学生女子の連れションのようなつるみ方をしているのは、相当気持ち悪い。

 

社会人としての最低ラインを備えていない大人たちを見ていると「お前らよっぽどゆとりだぞ」と、10何年受けてきたセリフをバットでガンガン打ち返してやりたくなります。(副局長レベルにまでタメ語の30歳若造に「○○さんってゆとり?ゆとりだよね!!おれギリゆとりじゃな~い!!」って言われた時はまじで会社つぶれろと思いました)

 

 

今回は話があっちへこっちへだった感がありますが、大人になればなるほど学校生活や友人の大切さをヒシヒシとかみしめる機会は増えていきます。そのきっかけ自体は、会社で起こった嫌なこと、ムカつく上司、意地悪なお局だとかマイナスのことが引き金だと思います。でも今後降りかかる数々のマイナスに対抗していくために、学生時代は存在するといっても過言ではないと思います。

 いずれ世に出ていく若い方たちにはダサい大人にならないためにも今こそ自意識過剰になって、そのキラキラした毎日を満喫してほしい、と願うばかりです。